3月~4月の山行報告
招太寺のしだれ桜
(№2988)東海道を歩く(12回):箱根湯本(小田原駅~箱根湯本駅)
期 日 3月30日(土)。
天 候 曇り。
コースタイム 小田原駅(10:00)…小田原城(10:30)…箱根口 (10:45)…軽便鉄道跡(11:00)…大久寺(11:15)…上方見附跡…(11:15)…昼食(11:35)…小田原用水(12:35)…日蓮聖人霊跡(13:15)…風祭一里塚…紹太寺(14:15)…駒ノ爪橋跡(14:35)…山崎の古戦場跡(14:45)…三枚橋(14:55)…箱根湯本駅(15:
15)(終)
概 況
多くの舟で賑わう酒匂川が描かれている。東海道の旅人は、箱根越えのために前泊し、鋭気を養った。
11回では小田原宿の江戸口から宿内に入り、箱根口まできた。
出立に先立ち、せっかくですから小田原の天守を間近で見てから、箱根湯本へと向かうことにいたします。小田原宿から箱根湯本駅までの比較的短い6.4キロの距離を辿ることにいたします。
日本橋以来、初めての城下町でもある。日本橋から数えて9番目の宿場町である小田原は日本橋から20里27町(81.5キロ)に位置しています。大久保加賀の守11万3000石の城下であった。
■ 大久寺
国道1号(東海道)筋から50mほど奥まったところに大久寺の山門が構えています。
天正18年(1590)、小田原の陣後の8月1日(八朔の日)に江戸に初入府した家康公は、秀吉の命もあって遠江国二俣城主の大久保忠世(おおくぼただよ)を小田原城に4万5000石を与えました。
大久寺はその忠世が創建した日蓮宗の寺院です。
■ 紹太寺
江戸時代初期の小田原藩主だった稲葉一族の菩提寺です。
もとは小田原城下山角町にありましたが、第2代稲葉美濃守正則が寛文9年(1669)に現在地に移建し、山寺号も「長興山紹太寺」と称し、父母と祖母春日局の霊を弔いました。
ドイツの医師ケンペルは、江戸への旅の途中、旧東海道に面した長興山の総門の壮麗な姿を、『江戸参府旅行日記』に書きとめています。
費 用 交通費 各自。 資料代 200円。
参加者 計10名。
(№2989)市原;御十八夜・市原米沢の森
期 日 4月3日。雨天の為中止致しました。
チューリップフェスタ会場
(№2990)散歩:佐倉チューリップフェスタ
期 日 4月12日(金)朝立ち日帰り。
天 候 晴れのち曇り時々小雨。
コースタイム 京成佐倉駅(10:35)-(バス)-佐倉ふるさと広場臨時駐車場(10:50)…佐欄花売店脇に12時30分集合を決め自由行動…佐欄花売店脇(12:30)…佐倉ふるさと広場臨時駐車場(12:55)-(バス)-京成佐倉駅(13:10)解散
概 況
前日までの晴天とは違い、少し雲行きが心配な様子になりました。
時間前のバスに3人が先行して乗車した他は並びましたが、まだまだ後ろに並んでいました。
会場は100種類70万本とのことで、奥まで見渡せ、様々な色の帯があり、春爛漫の眺めでした。
自由行動になってから、風車の見学、足を延ばしてのチューリップ見学、摘み取り、写真、農産物の買い物、昼食等何人かのグループでの行動をしていました。
12時30分に売店脇に集合しましたが、
臼井まで歩いて行かれる方がいて、8人グループ、5人グループが出発し、他の9名がバスで京成佐倉駅に向かいました。
久しぶりの係にかかわらずたくさんの方に参加していただき、有難うございました。
費 用 交通費 京成佐倉駅~ふるさと広場駐車場 バス往復 520円。
参加者 計22名。
千葉支部の紹介
(№2991)本部集中:加治丘陵
期 日 4月14日(日)朝立ち日帰り。
天 候 快晴。
コースタイム 仏子駅(10:05~10:25)…山仕事の広場・イベント会場(11:30~14:25)…金子駅(15:30~14:47)解散
概 況
仏子駅までは各自の都合で行き、仏子の駅で全員集合し、少しミーティングを行い、会場に向けて出発した。
コースの途中では、野草の花を愛でながら歩いていると、右下に大人になっていない野生の鹿(ニホンカモシカ)が一頭こちらを見ているが、逃げようとしない。
やがて集中会場の「山仕事の広場」に到着。ここで時間が有るので展望台まで行くグループと、行かない人に別れた。
イベントまでは1時間位有るので、ビールなどを飲みながら昼食を摂り、ゆっくり過ごす。
イベントは、本部山行コースの報告、支部紹介を兼ねて支部山行コースの報告、本日参加の本部山行委員(係)の紹介、その後、新ハイキングクラブメンバーの紹介など行った。
その後に皆で歌おうと銘打って、「雪山賛歌」「どこまでも行こう」「故郷」を歌い
盛り上がったところで、「ジャンケン大会」を行い楽しんだ。
閉会の挨拶が有り、「万歳三唱」で今回の集中山行は終わった。
帰りのコースは、アルコールの影響も有って、最短のコースを歩き、金子駅に到着し、ここで解散する事にした。皆さん、楽しかったです。有難うございました。
費 用 交通費 千葉駅~仏子駅+金子駅~千葉駅 約3,200円。
参加費 200円。資料代 100円。
参加者 計11名。
※房総:高宕山・石射太郎
期 日 4月18日。都合により、個人山行に変更しました。
2月~3月の山行報告
(№2983)森と森をつなぐみち
(関東ふれあいの道)野見金・笠森ルート
期 日 2月23日。雨天の為中止致しました。
広重 酒匂川の渡し
(№2984)東海道を歩く11回):国府津駅~小田原駅
期 日 2月24日(土)朝立ち日帰り。
係 (CL)森数 啓次
天 候 曇り時々晴れ
コースタイム 国府津駅(10:10) … 真楽寺(10:25) … 小八幡一里塚(11:45) … 大見寺
(11:15) … 酒匂川 … 昼食(11:40~12:15) … 新田義貞墓(12:45) …・
江津口見附(13:25) … 北条稲荷(13:45) … 明治天皇聖蹟 … 外郎ういろう
(14:15) … 小田原城(14:45) … 小田原駅(15:45)
概 況
東海道五十三次の旅も前回は小田原への道も半ばの国府津で終えています。いよいよ本来
の宿場町である小田原へ向けここ国府津から旅が始まります。潮風香る相模湾に沿って国道一
号線(旧東海道)が小田原へ向けてまっすぐに延びています。鉄道唱歌の中で国府津は「国府
津おるれば馬車ありて 酒匂小田原とをからず 箱根八里の山道も あれ見よ雲の間より」と謳
われ、箱根の山並みが間近に迫ってくる様子が窺がわれます。
■ 酒匂川の渡し
「酒匂川の渡し」は,東海道五十三次道中の難所
の一つで古くは船渡しが行われていたが、延宝2年
(1674)船渡しが禁止され徒渉(かちわたり)制が
(1675)施行され、冬の時期を冬川と言い仮橋を架
(1676)けて往来しました
■ 小田原
小田原を城下町として造りだしたのは15世紀末(1495)から16世紀末(1590)までのおよそ
百年間にわたって相模の国を含む関八州を支配した北條氏です。そもそも北條氏初代の早雲
がそれまでの領主であった大森藤頼(おおもりふじより)を遂って小田原に入ったのは今から
518年前の明応4年(1495)のことです。
北條氏五代が百年間に亘って治めた小田原は関東の政治・経済の中心だったのです。その
長きにわたる北條氏の小田原そして関八州の支配は豊臣秀吉の天下平定の野望の前にもろく
も崩れ去ってしまいました。
費 用 交通費(各自) 資料代(100円)
参加者 寺坂はつ子、日隈三夫、高本敏政、若目田俊行、久保寺理夫
(CL)森数啓次
※次回 第12回東海道(小田原駅~箱根湯本)は、2024年3月30日に予定してます。
(№2985)支部行事:バス山行・筑波山(一般向き)。
期 日 3月7日(木)朝立ち日帰り。
天 候 晴れ。
コースタイム JR津田沼駅(7:00)-(バス)-京成津田沼(7:10)-(バス)-土浦北IC(8:30)-(バス)-つつじヶ丘駐車場着(9:10)
①コース おたつ石コース → 美幸が原コース
つつじが丘(9:30~9:40)…弁慶茶屋(10:10~10:20)…女体山(11:10~11:15)…御幸ヶ原・昼食(11:30~12:00)…男体山(12:10~12:20)…御幸ヶ原(12:30)…中の茶屋(13:25~13:20)…筑波神社前(13:50~14:00)…市営第3駐車場(14:20)
眺望1のコース。残念です天気は良かったのですが、遠望は聞かず。弁慶茶屋からは弁慶七戻り等10の奇岩・怪岩が見られる。
距離:男体山までの登り1.8km、110分 男体山からの下り1.8km100分
計210分(3時間30分)
概 況
JR・京成津田沼駅で参加者全員乗車して出発する。順調に走り、予定より早くつつじヶ丘駐車場に到着し、ハイキング組とロープウエイ組に別れて行動する。
天気が予報より良くなって明るい空。気持ちも弾みました。
いきなり、緩い階段状の登り。暫くはみはらしも良く、里山の雰囲気で下を見れば田畑や住宅・道路が見えた。登るに従って木の階段状の道から大きな石で出来た階段状の
道になり、それもいつの間にか雪が混じるようになってきました。
白雲橋コースとの分岐の弁慶茶屋跡には新しい小屋があり、そこで初めての休憩を取りました。そこまで来ると登山路は真っ白になっていました。そこを出ると「母の胎内巡り」「弁慶七戻り」「出船入船」等の奇岩が続いて面白い。しかし、気温も下がって、雪が氷となり、滑るようになってきました。天気予報が良かったので、アイゼンは考えていなかったのですが、後は注意して降りて行きました。
女体山を過ぎて御幸ヶ原まではざらざらの雪が滑っていましたが、御幸ヶ原では普通の雪に変わって余り滑らいようになりました。
御幸ヶ原で30分ほど昼食を取るため休憩しました。その間時間が経つと段々寒くなっ
てきました。それで時間をまって男体山を目指しました。
10分程登ると見晴らしの良い山頂に着き、筑波山麓の広い平野が見えました。下りも途中までは雪が残っていて注意をしながら降りて行きました。ちょうどケーブルカーの中間点で登山コースとケーブルカーのエリアが接するところがあるのですが、そこでケーブルカーは行違っていました。
そこからは、道も緩くなり、雪も無くなって。筑波山神社までは直ぐでした。
筑波山神社で無事に降りられたお礼をした後、第3駐車場の近道を探しながら、右寄りに歩いて行きましたが、良く分からず、結局赤い大鳥居から第3駐車場になってしまいました。予定より10分位前になってしまいました。帰りは酒々井のアウトレットに寄りましたが、そこで牛久の大仏をまじかに見ることが出来ました。
弁慶七戻り
費 用 交通費(バス代)3000円+コピー代 200円
参加者 計9名。
ロープウェイ組
コースタイム つつじヶ丘駐車場(9:10)…つつじヶ丘駅-(ロープウェイ)-女体山駅(9:30~9:36)…女体山…御幸ヶ原(10:20)…筑波山頂駅-(ケーブルカー)-宮脇駅(11:20~11:28)…筑波山神社・昼食(11:55~12:20)…筑波梅園入り口(12:45)…筑波第3駐車場(⒕:10~⒕:30)-(バス)-アミアウトレット(15:20~⒗:00) -(バス)-アミ東IC-(バス)-幕張IC(⒗:45) -(バス)-京成津田沼(17:00) -(バス)-JR津田沼(17:05)解散
概 況
JR・京成津田沼駅で参加者全員乗車して出発する。順調に走り、予定より早くつつじヶ丘駐車場に到着し、ハイキング組とロープウエイ組に別れて行動する。
天気も良くて気分も高揚気味だったが、女体山駅に降りるとなんと!目の前は前夜の降雪との事で、半分雪に半分凍りで皆手すりにつかまっての登りになった。でも誰も転倒することなく山男・山女を発揮していて流石と思う。
その後は女体山山頂へ行かれる方達と分かれ、ゆっくりと御幸ヶ原を目指す。
御幸ヶ原の雪は掻かれていたが、やはりまだ多く、男体山登頂する人、自然研究路へ行く人、御幸ヶ原でゆっくりする人と分かれ、少し楽しむ。その後全員で神社参拝し梅園へと向かう。
梅は散りかげんだったがゆっくり回ってくる。(久しぶりにガマの油売りが見られた)。
ハイキング組と合流、予定より早く出発し途中アウトレットへより帰着する。
(K・O 記)
女体山御本殿
*前夜の雪の把握ができず、思うように散策が出来なかった。天候の把握は前日まで確認すること痛感する。
*今回は体調不良でのキャンセルが多かった。この時期で良かったか?
*女性陣のアドバイスもあり、今回は座席表での席決めとしたが、どうだったか?
*出発時のごちゃごちゃ…検討の必要あり。(反省)
費 用 参加費 ハイキング組 3,000+200円(資料代)。
ロープウエイ組 4,000円。
参 加 者 「ハイキング組」 9名。「ロープウエイ組」15名。合計24名。
*山を何ものかにしようという思いが、男女別籤引きによるバス席決定、その為のワッペン・図画等、諸々のグッヅ等の取り揃えなどから、緊緊と伝わってきました。参加者も男女約同数というのも、当日の天候改善と同様、運に恵まれた感じがした。
このような一つ一つの努力・配意が、旅行全体の高揚感、充実感、物語り感を高めていたことを痛感、帰りの際の全員の「またね」の挨拶でも文字通りそのことが感じられました。有難うございました。
またハイキングは、弁慶茶屋跡地、弁慶七戻り、母の胎内くぐり、北斗・大仏岩、女体山(877)、ガマ石、鶺鴒(せきれい)石、御幸ヶ原、男体山(871)、と往復4時間をかけ全うすることができました。
まず、そのことに感謝を致しますが、当日は「雪道」であったこともあり、行き交う登山者も含めて、他者に対する配慮が至る所で現れ、感動的な一日でした。言葉は交わさなくとも、目、手振り、動作(止まる、休む、微笑む)で、分かり合えたのでした。
「どうぞ」「お先に」「ありがとうございます」と。
「山」は、人も育てているような感じがして、ホッコリとした気分で全時間過ごすことができました。
午後2時半帰りのバスに全員そろったときも、「ただいまー」と、子供の頃、学校から帰った時のように感じました。(M・H 記)
*ロープウェーを降りたら少し雪が有り、女体山に向かうと通路には凍った上に雪が積もっていて、大変滑り易くなっていた。一歩ずつゆっくりと歩き、女体山頂上の神社に参拝をして、少し上の一等三角点の所まで行って見たが、そこから先は通行止めになっていた。
下山路も滑り易く、一歩づつ注意しながら下ったが、足が滑って転んでしまった。
御幸ヶ原まで下り、少し早いが、食堂で昼食を摂って男体山に行こうとしたが、積雪が10センチ位有るので止めて、下の第2展望台方面に行って見たが、途中で引き返した。
皆と相談の結果、ケーブルで下り梅園に行く事になった。
ケーブルを降りてから、筑波山神社に参拝をして、皆さんはここで昼食を摂った。
ゆっくり休憩を取り、梅園に行ったが、直ぐの所で「ガマの油売り」が刀を使いパフォーマンス中だったので少し見学をした。
梅園の中は、梅が散り始めていたが、まだ見ることが出来たので、ゆっくり休憩しながら歩いた。
第3駐車場に行き、フキノトウを取ったりしながら、皆の来るのを待ち、予定より早くバスは発車した。
(K・S 記)
(№2986)青葉の森~緑化植物園・散歩
期 日 3月15日(金)朝立ち日帰り。
天 候 晴れ。
コースタイム 京成千葉駅(9:51)=京成千葉寺駅(9:55~10:00)…青葉の森公園入口(10:20)…休憩…青葉の森公園南出口(11:15)…三上神社(11:40~11:50)…千葉市都市緑化植物園・昼食(12:10~13:20)…千葉医大病院(14:00)解散
概 況
青葉の森の公園センターに寄り、パネル等を見て外の花畑を見る。
青葉ヶ池の傍を通り桜山に行くが、ソメイヨシノの蕾は未だ小さかった。ゆっくり休憩を取り、公園南
キンギョバ ツバキ 口から出た。
三上神社に向かう途中、馬頭観音を参拝する。
三上神社を参拝してから、拝殿の回りの石仏を参拝してから千葉市都市緑化植物園に向かう。
植物園に着いて直ぐに昼食休憩を取り、落ち着いた所で園内を見て回った。フクジュソウなど少ししか花は咲いていなかったが、此のところの寒気のせいだろうか野草の生育が遅れているようでした。キンギョバツバキや野草などを見て植物園を出た。
途中、山神様やお地蔵様、弁天様を参拝しながら千葉医大に向かい、ここで解散となった。
費 用 交通費
京成千葉駅~京成千葉寺駅 275円。
千葉大学病院~千葉駅 220円。
参加者 計11名。
(№2987)本部合同:クオードの森と御所塚山一等三角点(一般向き)
期 日 3月23日。雨天の為、中止致しました。
1月~2月の山行報告
(№2981)富山350m・伊予ケ岳337m
Aコース 健脚者向き
Bコース やや健脚向き
期 日 1月26日(金)朝立ち日帰り。
天 候 快晴。
コースタイム Aコース
千葉駅(6:58発)=内房線=上総湊駅(8:07
~8:09)=岩井駅(8:30~8:40) …富山
西尾根登山口(9:05~9:10)…伏姫籠穴へ
の道分岐(10:05~10:10) …265m峰
(10:40~10:45)… 富山北峰・昼食(11:
15~11:45) …水車小屋(12:40~12:
50)…県道(13:15~13:20)…展望台(13:
富山北峰からの富士山 50~14:00)…伊予ケ岳(14:15~14:
30)…展望台(14:40~14:50)…平群天神(15:20~15:30)…国保病院前 (15:40~17:00)-バス- 岩井駅(17:18~18:08)=内房線=君津駅(18:54~18:56)=内房線=千葉駅(19:42)
Bコース
富山西尾根登山口(9:05~9:10)…伏姫籠穴への道分岐(10:25)…富山北峰・昼食(12:20~13:00)…福満寺(14:35~14:50)…岩井駅(15:35~15:50)=君津駅(16:29~16:35)=千葉駅(17:19)
概 況
(Aコース)
朝から天気は予報の通り快晴です。電車の中から富士山が大きく見えて、今日の山行が楽しみになりました。
岩井駅に集合して、富山西尾根登山口に向かいました。登山口からいきなり急登です。
稜線に出るまで急登は続きました。富山・伊予ヶ嶽の標高は低いのに、それから急登・急下降は続きます。累積標高差は900m~1000m位になるような気がします。富山西尾根は特に登っては下っての繰り返しでした。
富山西尾根登山口に「大変険しい道のりで上級者向きとなります」と掲示されていましたが、おそらく地元の人の整備と思われますが、非常に綺麗になっていました。
危険な所にはしっかりした手摺やロープもあり、山登りをやっている人には、危険は感じられませんでした。ただ、急な昇り降りがあり、雨の日等は、注意を要するように思われました。
途中、竹やぶにルートが開かれ、休憩所が設けられていたところは、地元の人のこだわりが感じられました。そこからは、海越しの富士山が見えるようになっていました。
富山北峰に着くとホッとしました。そこには壊れそうな展望台があって、東京湾越しの富士山をはじめ、大島、伊豆半島、丹沢が東京湾越しに見えます。
里山の景色もまじかに見えて、豊かな里の雰囲気を味わうことが出来ます。
富山北峰で早めのお昼を食べ、伊予ヶ嶽に向かいました。途中、吉井の水車小屋によって、田舎の公園で休憩を取りました。すぐ近くのミカン農園で袋入りのミカンを購入したら、6人でちょうど大きなミカンが12個。喉が渇いていたので、2個のミカンを一度に食べることが出来ました。20分程休憩して、伊予ヶ嶽に向かいました。
県道を渡る所までは緩い昇り降りの舗装道路県道を渡ったところから、伊予ヶ嶽の登りになります。
富山の昇り降りで疲れが溜まった体には肩、にある展望台までの登りは足に来ました。やっとの思いで東屋のある展望台に着きました。ここまで来ると登りは空身で15分。大分気が楽になってきました。伊予ヶ嶽は房総のマッ
伊予ヶ岳山頂にて ターホルンといわれるほど。西側は切れ落ちています。15分の登り下りも全てロープが無いと登れないほど、急です。昨年ここで遭難があり、1人死んでおります。
慎重に登って山頂に着くとまさに展望台。360度全ての方角が良く見えました。西は
今歩いてきた富山。少し北を向くと富士山、北を見ると伊予ヶ嶽の北峰。東を見ると千葉県最高峰の愛宕山と富山三山の御殿山が見えます。
近くは平郡天神平郡小学校跡(既に廃校になっていて、今は土日だけですが、デリ&カフェになっている)。
平郡天神について2時間に一本のバスが1時間以上待ちになりましたが、皆で持ってきた焼酎をお湯で割って、おつまみを食べながら待ちました。
4時半ころになると日が当たらなくなり寒い中、岩井の駅行きの5時ちょうどのバスを待ちました。
(Bコース)
富山西尾根登山口までは一緒に行きましたが、ここからは2人でゆっくり登り出しました。
途中のピークで呼吸を整え、下りは足元に注意しながら歩きました。
伏姫籠穴分岐で現在地を確認、途中の竹藪の終わりにあるベンチで行動食を少し食べ、富士山を見ながら休憩しました。
北峰は、12時を過ぎる事を計算して、又ゆっくり歩きました。
北峰では富士山を見ながら昼食を食べ、3等三角点を確認、お宮に無事下山できるようお祈りをして出発しました。
ここから福満寺に向かう道を行きます。
下りの道は、殆ど舗装で整備されていますが、階段が多くて膝が痛くなるので、ここもゆっくり歩くしかありません。
やっと福満寺に着き、ゆっくり休憩しました。
ここからは、車道歩きとなり、岩井駅までは飽きて来ました。岩井駅近くでバスが来ましたが、駅まで歩きました。
駅前で、ビールを探しましたが、近くには無いので、飲まずに電車に乗りました。
費 用 岩井駅までの交通費は各自負担。
バス(国保病院~岩井駅) 200円。
参加者 Aコース 6名。Bコース 2名。合計8名。
(№2983)南船橋ウォーキング(一般向き)
期 日 2月9日(金)。
天 候 晴れ。
コースタイム JR南船橋駅(10:20)…ふなつしーパーク…
橋…船橋港親水公園・昼食(11:45~12:30)
東照宮…船橋大神宮(14:00~14:20)解散
概 況
真冬日、好天に恵まれたウォーキング日になりました。南船橋駅に31名も参加いただき大盛況になった。ストレッチを行い出発。
南船橋周辺は再開発真っただ中です。「IKEA」家具
親水公園にて 店(前は屋内スキー場ザウス)、ふなつしーパーク(前は船橋オートレース場)、船橋アリーナは今年プロバスケットボール千葉ジェッツ船橋のホームグラウンドになる。
船橋港親水公園は海老川の河口にある長さ500mで、床は木のデッキ、ベンチがあり見晴らしの良い休まる公園だ。東京湾につながる眺めは素晴らしかった。
伏見稲荷は「船橋ヘルスセンター」温泉施設や劇場があった所、全国温泉コンクールで受賞記念碑とヘルスセンターの正面にあった松が伏見稲荷の傍に残っていた。
水門を渡り、再度船橋港親水公園に戻り、往来する漁船を見ながら昼食。きれいなトイレもあり昼食に最
適な場所だ。
船橋漁港では漁師さん直送のホンビノス貝を買求め酒蒸しにて食した。
途中名所旧跡に立ち寄った。「船橋東照宮」は船橋御殿の跡地に建っていて、徳川家康が東金市周辺に鷹狩りに行く時宿泊や休憩に使った。東金につながる直線の道路が御成街道として現在も道路として一部が使われている。公園内の寒桜が鮮やかに咲いていた。
本町通りの海老川橋。ここが船橋という地名が生れた場所で、昔の海老川は川幅が広く水量も多かったので橋を渡すのが困難だったから、川面に並べた船の上に板を並べて橋 とした。
船橋大神宮の燈明台
徳川家康との縁がある1900年以上の歴史をもつ船橋大神宮でお参りして解散。
進化する南船橋と古き良き漁師町船橋、川端康成・太宰治の文豪も愛した歴史のある船橋歩きは五感を刺激する楽しいウォーキングでした。(寺坂敏彦 記)
費 用 交通費 千葉駅~南船橋駅(往復) 812円。
参加者 計31名。
12月~1月の山行報告
川苔山にて
(№2978)奥多摩・川苔山(1363m)
期 日 12月23日(土)。
天 候 晴れ。
コースタイム 東京駅(6:39)=中央線快速高尾駅行き=武蔵小金井駅(7:21~7:25)=青梅線快速青梅行き=青梅駅(8:17~8:24)=奥多摩行き=奥多摩駅(9:06~9:20)-(タクシー)-川乗橋(9:42~9:50)…細倉橋(10:35~10:40)…百尋ノ滝(11:30~11:35)…分岐昼食(12:30~12:45)…川苔山・昼食(13:40~14:00)…ズマド山の鞍部(16:10~16:15)…古里駅(17:00~17:20)=青梅行き=青梅駅(17:45~18:01)=青梅線快速東京行き=東京駅(19:15)
概 況
今年最後の山行でした。日の短い冬至の日の翌日。まだ、私が総武線で千葉を過ぎるまで暗かった。東京駅で中央線に乗り換えてやっと明るくなってきた。
奥多摩駅まで予定通りだったのですが、予約したタクシーが遅れてきて、川乗橋までしか入れず、行程はスタートで遅れてしまった。
気温はかなり低く、5℃前後?上着だけを脱いで下着、長袖、半袖のゴルフシャツの3枚で歩き出した。
暫くは日陰の道なので百尋ノ滝まで勾配も少なく余り汗をかくこともなく、登って行った。百尋ノ滝へは コースから5分ほど降りていかなければならなかったので、また、木の間から良く見えたので、遅れていることもあって、降りては行きませんでした。分岐から写真を撮りましたが、肉眼では良く見えた滝も近くの木々にピントが合って良く写りませんでした。
そこから川苔山までコースタイムで2時間ありましたので先を急ぎました。勾配も少し急になって林の中でも汗をかくようになってきました。暫く歩くと沢筋に出て休憩所のようになって休憩している人もいましたが、休むと木陰なので寒くなりそうなので、日向の所まで頑張りました。ちょうど川苔山への分岐まできて日が当たる
ので、まだ山頂までは間があり、昼食を摂ることにしました。
山頂でゆっくりしたいので、そこではおにぎり一つ位食べて山頂に向かいました。右の道を行くと最後急登と地図になっているので左の道を行きました。最後の登りと思って約1時間を登って行きました。次の分岐から山頂まで急登かと思いましたが、なだらかな登りを経て山頂に着くことが出来ました。山頂は広く日当たりで富士山も木間に見えて楽しい気分でした。2度目の昼食を摂ってゆっくりしました。カップラーメンを食べましたが、冬は暖かなラーメンは腹にしみました。20分程休憩して先を急ぎました。
既に山頂で2時。赤杭尾根はコースタイムで2時間45分。日の沈む時間に掛かります。下りなので余り急ぐわけにもいかず、休憩を減らして進んでいきました。最初は結構急な下りでしたが、林道に出るころから、緩やかになりました。途中3時頃でも林の中、かなり夕暮れのような暗さになってきました。
ズマド山の鞍部に4時10分について残り40分。目が慣れてきて、歩くのに不自由はしませんでしたが、先を急ぎました。結構長く感じた40分でしたが林を抜けて駅前のコンビニに着いたのはちょうど5時でした。もう真っ暗でした。
私はお酒等を少し、持ってきていたので、ビールだけを買いましたが、日隈さんは我々の為にビールとおつまみを買ってくれて、電車を待つ間椅子に座ってビールを飲んで喉を潤すことが出来ました。冬でも美味しいビールでした。電車も端に乗って3人の宴会は続きました。
日隈さんは初めての1000m以上の登山。少し心配していたのですが、見事な体力。感心しました。本人も充実感があるようでした。
Kさんも病み上がり、元々体力があることは分かっていましたが、少し不安もあるようでした。やはり、緊張感もあって、5時に降りてこれたのは皆さんの精神力だったように思います。
最後、楽しくビールを飲んで楽しい話が出来たことに、山登りの喜びを感じました。 歩 程 登り3時間30分、下り3時間 合計6時間30分。
費 用 交通費 乗車券
千葉県内どこでもJRですと、交通費2,720円(休日お出かけパス使用)
タクシー代 700円×3人=2,100円 合計 3,420円。
参加者 計3名。
厄除け不動尊の銭洗い弁天
(№2979)七福神巡り:千葉厄除け不動尊(関叡山妙泉寺)・泉自然公園
期 日 1月3日(水)朝立ち日帰り。
天 候 曇り。
コースタイム 千葉駅(10:00)-(バス)-千葉厄除け不動尊(10:45)…七福神巡り・境内散策(10:45~12:00)…千葉厄除け不動尊(12:23)-(バス)-泉公園入口(12:35)…泉自然公園・昼食&散策 (12:50~14:40)…泉公園入口 (15:00~15:09)-(バス)-千葉駅・解散(15:55)
概 況
今日の天気は雨の予報から曇りに替わって、中止せずに参拝出来て良かった!
千葉駅からのバスが、元日から3日まで千葉厄除け不動尊迄の臨時直行便に乗ることが出来た。
参加者が16名となり、境内で迷子になるかと心配したが、無事に終わる事が出来ました。七福神巡りは、「ご利益めぐり」と云うコースが出来ていて、迷うことなく歩く事が出来ました。
境内はかなりの参拝者がいて、こちらの方が迷子の心配をしました。そんな訳で、迷子の心配ばかりでしたが、無事に終わってみればご利益を戴けたのでしょう。
帰りのバスは、中野操車場迄歩かずに、少し遅くなるが、厄除け不動から乗りました。
泉自然公園では、お花見広場を通り、椅子のアズマヤでゆっくり昼食を摂り、周回コースを歩きました。
今の季節では花が咲いていませんが、桜の木の沢山ある所、キツネノカミソリの咲く所、ハンゲショウのある所、池の傍らを歩き、花菖蒲の咲く所、カタクリの咲く所、イチリンソウやニリンソウの咲く所などを歩きました。
久し振りにお会いできた人もいて、厄が落ちて今年も元気に歩けると良いですね!
費 用 交通費 バス代 千葉駅~千葉厄除け不動尊 660円。
千葉厄除け不動尊~泉公園入口 440円。
泉公園入口~千葉駅 550円。
参加者 16名。
子守神社にて
(№2980)花見川区 歴史の散歩道(A・Bコース)
期 日 1月12日(金)朝立ち日帰り。
天 候 終日快晴・
コースタイム Bコース(幕張北コース)
幕張駅出発(9:10)…三大王神社(9:30~9:40)…武石神社(10:00~10:10)…真蔵院(10:30~10:40)…花見川河川敷き昼食(11:15~11:45)
Aコース(幕張南コース)
花見川河川敷き(11:45)…幕張駅(12:00)…昆陽神社(12:20~12:30)…首塚(13:00~13:10)…金毘羅神社(13:25~13:30)…子守神社(13:40~13:50)…京成幕張駅・解散(14:10)
1班、2班に分かれて歩いたので
(コースタイムは概ね2班の参考タイムです。)
概 況
係の人は8時30分頃集合して、本日の山行計画を打ち合わせた。
集まってきた参加者に係から、昼食の場所(トイレのある河川敷)他、Bコース~Aコースの主なルート、特にトイレのある場所を中心に係から説明して出発した。
京成幕張駅に人がいるのではとの話、1班2班の判別をした三大王神社にも関わらず、
計画書と違ったルート(2班)と混乱気味の出発ではあったが、そこからは、地図に従って歩いて行くことが出来た。三大王神社の入口は、75段の階段でいきなり、結構足に来ましたが、上がってみると中々の神社少し休憩も取って、神社で祈って先々の健康等を祈った。
そこからはルートも分かりやすくなり、入口を確認しながら、武石神社に行った。そこは大きな木に守られように木々に覆われた小さな神社であった。小さくはあったが綺麗な神社で、そこで集合写真を撮った。
先を急いで出発したが、そこからの道は案内図では分かりにくく、縮尺のあった1/25000位の地図で動く必要を感じました。花見川と並行する道なので、それを意識しながら、歩いたら、迷いながらも大きくずれることは無く、次の真蔵院に着いた。
今まで1班について行こうとの気持ちで休憩を取らなかったのですが、予定より、早くついていることもあって、そこでゆっくり休憩を取った。真蔵院の境内には綺麗に整えられた木々が中々立派であった。
お寺も立派な境内で、休憩するのに十分な広さでもあった。この近くにある筈の羽衣神社と波切不動を探したが、見つからなかったですが、1班に追いつくべく、先を急いだ。
そこから先を急いで昼食の河川敷に向かった。左に瑞穂橋を見て、次の浪花橋まであと少しであることを知った。
私は1班の動向を知るために瑞穂橋への道を超えて2班を残して少し先を急いだ。浪花橋を渡って花見川沿いの休憩所に着いたら、1班は着いてからまだ、10分位だとのことであった。1班もまだ、昼食を取っていないとのことだったので、11時頃で少し早かったが1班は昼食を先に取った。
2班はそれから15分ほど経って休憩所について昼食を摂り始めました。
1班は11時30分に休憩所を出発し、2班は11時45分に出発しました。
一度幕張駅に戻って、再度Aコース(幕張南コース)を出発した。2班の人も途中トイレや公民館によりたいとの希望があり、長く離れてしまった。その後、我々は地図にある道を行ったのですが、後の人たちは別の道に向かって昆陽神社に行ってしまった。先行した我々は、中々来ないので戻って昆陽神社に行ったが、もうそこも超えて次もルート図とは違った帰りを予定している道に進んで行ってしまった。結局、逆コースを取ることして進んで行ったら。金毘羅神社から出てきた1班を先に見ることが出来た。
1班は首塚に向かっているのが分かり、2班も急いだ。首塚の入口で追いつき首塚まで上がって行った。標高15mの頂きには五輪搭がありました。そこからは駅に戻るように向かって行きました。途中子守神社がありました。中々立派な神社で、ここから秋にはお祭りの時、神輿が出て、多くの人が集まるようでした。更に進むと宝憧寺に着きました。中々綺麗な境内で本堂も経堂も素晴らしい建物でした。
そこから15分で、京成幕張駅に着き、そこで解散をしました。
その後、食事をしたい人はラーメン屋さんでビールを飲んだり、餃子などのおつまみを食べたりして、今日
の反省をしたりしました。
かつて、幕張で仕事をしていたHさんやHIさんの下見で、今回のハイキングの具体案が纏まりました。有難う御座いました。
費 用 幕張までの交通費は各自負担
歩 程 Bコース(幕張北コース)2時間。Aコース(幕張南コース)2時間30分。 (休憩を含む)
参加者 計15名。
11月~12月の山行報告
(№2976)東海道を歩く10回:二宮駅~国府津駅
期 日 11月18日(土)朝立ち日帰り。
天 候 曇り時々晴れ。
コースタイム 二宮駅(10:00) … 吾妻山・吾妻神社(11:15) … 藤巻寺(11:30) … 昼食(11:45~12:20) … 一里塚・立場跡
(12:50) … 松屋本陣(13:10) … 史跡車坂(13:30) … 大山道道標(13:45) … 国府津駅(14:30) (終)
概 況
前日の雨と打って変わって晴天に恵まれました。富士山が見えるか心配であったが、吾妻山に行くことにし
た。東海道を外れて、吾妻神社を通過して吾妻山に登った。上では、多くのハイカーが来ていた。傘雲を被った
富士山を、鑑賞することができた。
北斎が、吾妻山公園からの富士山を浮世絵に描いている。
吾妻山からの富士山
■ 吾妻神社
旧道に入るとすぐ右手に折れる道に鳥居がたっています。この鳥居が吾妻神社の一の鳥居
です。神社へは鳥居をくぐり直進し、線路を跨ぐ歩道橋で越え、Z坂(つづら折りの坂道)を登る
こと約20分かかります。
標高136m足らずの低い山です。そしてこの山の頂に吾妻神社が社殿を構えています。
さあ!ここで「吾妻」がでてきました。この吾妻はまぎれもなく日本武尊の妻で、三浦半島の走水で海神の怒りを鎮めるために海に身をなげた「弟橘姫(おとたちばなひめ)」を日本武尊が亡くなった妻をいとおしく叫び呼んだ「我が妻よ、我が妻よ」の言葉からきた「吾妻」なのです。
■ 藤巻寺
梅沢山等覚院、別名藤巻寺という真言宗の寺があります。本尊は不動明王および両脇侍像
で、その他にも多数の仏像が置かれています。
薬師堂の前には町の天然記念物に指定されている古いフジの木があります。このフジの木は、推定樹齢・約400年とされています。花は紫白の二色あり、毎年4月の半ば頃に咲きます。
1660年頃、仁和寺の宮が関東に下向した際に当寺へ立ち寄り、藤の花の美しさをめでて、「藤巻寺」の別号を与えました。
この寺の梵鐘も町指定の重要文化財で、町内に現存するものの中では最も古い梵鐘です。
費 用 交通費 各自。 資料代 100円。
参加者 計6名。
次回 第11回東海道(国府津駅~小田原駅)は、2月に予定してます。
(№2977)市川散歩・万葉のふるさと古・文学見て歩き(軽ハイキング)
下総国分寺
下総国分寺にて
期 日 12月8日(金)日帰り。
天 候 快晴。
コース 市川駅(10:30)…手児奈霊神堂(11;06)…亀井院(11:10)…弘法寺(ぐほうじ)(11:20~11:56)…須和田公園(12:10~12:30)昼食…郭沫若記念館(12:30~12:40)…下総国分寺(12:50~13:00)…下総国分尼寺(13:00)…じゅん菜池緑地公園(13:25~13:50)…泉養寺前経由市川緑地入口(13:55)…市川緑地経由・天満宮・国府台里見公園北入り口(14:30)…国府台里見公園(14:30~15:00)…江戸川土手…市川関所手前・京成国府台傍鉄橋土手で解散(15:20)
概 況
1.
反省点は後記しますが、直前日のような強風もなくいわゆる御講凪の日和に当たり、参加者の多くの方が「よかったね」と挨拶しあっておりました。古代の事跡、歌・碑文を前にし、過去の記憶を呼び起こすように、互いに質問・確認しあう様子が記憶に残ります。
郭沫若記念館では、同館係員の方が、旧宅縁側廊下引き戸を全開にして、迎え入れて頂いたことが、特に印象的なことでした。
また途中の、鮮やかな紅葉、また、それが入日に輝くさまに「きれいだね」の声も耳にしました。池、芝の道も含めて、街のすぐ傍であるが、非日常のそれら風景、風情を、改めて、参加者の方々が賞賛しているように見受けられました。
2.
一方、ハイキングですので、快適な運動(量)・行程となるよう適切なコース管理に留意することが必要です
が、この観点から、今回の件について、いくつかの御指摘がありました。
イ、集合場所の確認が不徹底であったため、出発時間に遅延が生じたこと。
ために、コース事前説明・参加者紹介の不実施、行路説明省略となったこと。
ロ、名所旧跡訪問については、滞在希望時間は参加者により異なるので、あらかじめその時間を指定しておくこと、またその個所は多すぎないことが重要。
ハ、休息時間は多めにとることが望ましく、できれば予定地を周知する方がよい。
無駄と思われるような休息も、懇親という目から見れば有意義との認識が必要。
ニ.参加者がある程度、多めになったとき、参加の趣旨もいろいろであるので、いくつかの班に分ける「班の構成」がベターではないか。その際、可能であれば、趣旨別
(運動主、歴史主、文学主など)に構成できれば素晴らしいが。
3.
これらの指摘は、基本的には計画段階で十分な検討が行われるべき事柄であり、今回の件に関しては、CLにおいて十分留意する必要があった。特に訪問地の多寡は重要で、運動距離との関係が深いので、今後、少ない訪問地(見物地)と短い運動距離のハイキングも検討していくことも望まれる。
ニ、記す、「班の構成」については、実施に至る日までの情報提供が必要であり、実施日の早期周知と、その実施内容の事前情報提供が重要となる。会報における、直前情報のみならず、数回にわたる情報提供をCLにおいて、心がけるように致したい。
費 用 集合・解散地まで各自負担。資料代として参加者一人200円集めCLへ。
参加者 計19名。
10月~11月の山行報告
(№2972)観月台から鋸山(330m)
期 日 10月19日(木)朝立ち日帰り。
天 候 晴れ。
コースタイム 千葉駅(7:45)=上総湊駅(8:58~9:00)
=浜金谷駅(9:10~9:15)…車力道との分
岐(9:30)…観月台(9:55~10:05)…鋸山
(11:00~11:10)…東京湾を望む展望台
(11:35~12:30)…地獄覗き(12:45~
12:55)…大仏(13:10~13:30)…日本寺
(13:40)…表参道入口(13:50)…保田駅
(14:45~15:04)=君津駅解散(15:36~
15:39)=千葉駅(16:27)
地獄覗き近くにて
概 況
待ちに待った良い天気でした。
私は内房線の姉ヶ崎駅から3号車に乗りました。多くは4号車に乗っていて私はそちらに移動して纏まって行きました。
浜金谷駅に着いて、登山の準備をして、線路沿いの道を進んでいきました。
車力道との分岐で狭い急な階段を登って行きました。観月台までの急な登りは30分約150mを一歩一歩登って行きました。観月台では東京湾越しに雪を被った富士山が良く見えたのですが、写真を撮ると薄くなり、上手く写っていませんでした。車力道への石切り場の分岐で軽い食事を取り、下から地獄覗きを見上げました。下がスポッと欠け落ちているので、地獄覗きは不安感を感じさせます。
それから、車力道分岐を東京湾を望む展望台への道を進みました。今日、2番目の急な登り。年寄りには十分すぎるほどの階段の急坂。ゆっくり登って行きました。
ここで、鋸山に登ったことのない人と、ゆっくり登りたい人の二手に分かれ、先の3人は展望台の下を鋸山へ急ぎました。往復50分程で山頂を踏んで東京湾を望む展望台に戻ってきました。
内房から外房までの展望は、心地よい風もあって絶好の昼食の場所でした。30分程食事と休憩を取って昔の電波塔保全の為の道を降りて行きました。
地獄覗きの下の道に出て、地獄覗きまで上がって行きました。高所恐怖症の人は地獄覗きの先端には行けないようで、私のようにのんきな人は先に行っても不安感を持ちませんでした。
地獄覗きで記念写真を撮った後、大仏への道を降りて行きました。ずっと階段で、下りが苦手な人には、大変な道でした。それは、表参道の入口のアスファルト自動車道の少し手前まで続きました。
表参道の入口からコンビニに行き、ビールを買って駅で飲んだり、電車に乗って飲んだりして楽しい山行の仕上げになりました。
費 用 乗車券 千葉駅~保田駅往復 1,350円×2=2,700円。
参加者 計6名。
(№2973)東海道を歩く9回):大磯宿(平塚~二宮)
期 日 10月21日(土)朝立ち日帰り
天 候 曇り時々晴れ。
コースタイム 平塚駅西口(10:00)…お菊塚(10:10)…京方見附跡…平塚跡(10:30)…善福寺(11:00)…高来神社(11:20)…昼
食(11:30~12:10)…化粧井戸(12:17)…化粧坂一里塚…江戸方見附跡(12:45)…延台寺(13:10) 地福寺
(13:35)…新島襄終焉の地(13:40)…鴫立庵…島藤藤村旧宅(14:00)…旧吉田茂邸(14:20)…城山公園…六所神社鳥居(16:00)…塩見の名残り…JR二宮駅(16:30)(終)
概 況
第二次戦争で米軍の激しい空襲を受け、平塚のほとんどが焼け野が原になった。理由は日本軍の火薬庫があったこと、米軍が上陸するときの予定地であった。さらに、平塚沖に米軍の艦船がたくさん停泊していた。中原街道を使って、八王子に進軍の計画があったそうである。
海水浴の発祥地、大磯駅は素晴らしいところである。ビ
ルやケバケバしい商店もなく、お金持ちが暮らすリゾート地であった。明治27年から30年は別荘建設ラッシュでした。
この期間に明治の政界を彩った政治家たちの別荘建設が集中します。
陸奥宗光、 伊藤博文、原 敬、大隈重信、西園寺公望、吉田 茂、他の別荘が立ち並んでいます。
■ 平塚跡
「その昔、桓武天皇の三代孫の高見王の娘政子が、東国へ向かう旅の途中、天安元年(857)2月この地で逝去しました。柩はこの場所に埋葬され、墓として塚が築かれたといいます。その塚の上が時代が下るにつれて平らになったと伝えられている。
■ 高麗山
668年、朝鮮半島の高句麗が滅亡した時、その王族の一部が相模湾から大磯海岸に上陸し、この山麓に住んだという。 この丸い山は渡来人たちの海から目印でもあった。 山の麓には高来神社があり、頂上まで登れるようになっている。
■ 島崎藤村旧宅
藤村邸の特徴は当時の貸家に比べて玄関や縁側が広くゆとりがあ
り四畳半の和室は茶室風に作られ、小座敷になっており、ここを藤村
は書斎として利用していました。文豪が暮らした家としてはそれほど立
派な屋敷ではありませんが、簡素な佇まいの中に何か味わい深い雰囲気を漂わせています。
■ 吉田 茂 邸
旧吉田 茂邸地区は、宰相・吉田 茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年まで過ごした邸宅を保全・活用するため、県立大磯城山公園の拡大区域となりました。平成21年3月に本邸は火災で焼失してしまいましたが、寄せられた寄付金を使って大磯町が再建し、平成29年4月1日に一般に公開なっています。
費 用 交通費 各自。 資料代 100円。
参加者 計5名。
東海道を歩く(10回):国府津宿(二宮~国府津)は、11月18日(土)の予定です。
昭和記念公園の入口にて
(№2974)本部合同:国営昭和記念公園・園内ウォーキング
期 日 10月22日(日)日帰り。
天 候 快晴。
コ ー ス 西立川口(10:20)…渓流広場…日本庭園…盆栽苑…こもれびの家…こもれびの里…みんなの原っぱ(昼食)…ふれあい広場…立川口…JR立川駅・解散(14:30)
概 況
国営昭和記念公園は、昭和天皇御在位50周年事業の一環として、米軍の立川飛行場跡地に造られた。テーマは「緑の回復と人間性の向上」。
西立川駅で待ち合せて、入口で記念撮影。参加者19名。今日は記念日で入場料が無料でした。
水鳥の池では多くのボートが浮かんで若者が楽しそうに漕いでいた。日本庭園の清池軒で休憩。建物は池に突き出して建てられていた。対岸の景色が美しくみとれた。
盆栽苑は我が国初の国営盆栽苑で、中でも五葉松の盆栽は、推定樹齢150年とか。どのような歴史をたどったか覗いてみたい。
花の丘は、黄花コスモスが丘一面に咲いており、公園最高の花畑だ。こもれびの里は大農家が造られていて、水車小屋、蔵、農作業小屋、水田、畑等あり、武蔵野の農村風景や暮らしが再現されていた。
みんなの原っぱは広大な原っぱで、中央にシンボルツリー高さ20メートル程の欅が有り、大勢の家族がテント、シートを敷いて、幼子と楽しそうに遊んでいた。我々も木陰でのんびり昼食をとる。
赤・ピンク・白のコスモス、ケイトウ・ジニアの花畑を観てギンナンの実る銀杏並木を通り、立川口のゲートで解散した。公園は大勢の人々で混雑していたが、森林浴の心安らぐウォーキングだった。
費 用 入園料 当日は無料。
交通費 東京~西立川 659円。立川~東京 659円。合計 1,318円
参 加 者 19名。
※房総・高鶴山
期 日 11月8日。台風の為に荒れてしまい、中止いたしました。
(№2975)きみさらず伝説:木更津さんぽ
期 日 11月10日。雨天の為、中止致しました。
9月の山行報告
(№2971)東海道を歩く8回):藤沢宿(藤沢本町~平塚)期 日 9月30日(土)朝立ち日帰り。
天 候 快晴。
コースタイム 藤沢本町駅改札(10:05)…京口見附(10:10)…
化粧地蔵(10:25)…養命寺(10:40) …大山道道
標(11:10)…四谷一里塚…牡丹餅立場跡
(11:35)…海前寺(12:30)…茅ヶ崎一里塚
(12:40)…旧寛永寺石燈篭(12:50)…イオンフ
ードコート・昼食(13:10)…六天社(14:00)…
南湖の左富士碑(14:20)…旧相模川橋脚
(14:35)…相模川(15:35)…JR平塚駅(16:10)終
概 況
江戸日本橋から数えて6番目にあたる藤沢宿は慶長6 年、東海道に宿駅伝馬制度が制定されるとすぐに、神奈川・保土ヶ谷・平塚・大磯・小田原とともに、最初に宿駅に指定されました。
広重の藤沢の景は、進行方向左手に見える富士山のことを指します。茅ケ崎一里塚を過ぎて国道1号線を歩くと鳥井戸橋という橋にさしかかりますが、ここが「左富士」の地点です。茅ヶ崎が富士のほぼ東の位置し、この橋が北西に向かって進むため、富士が進行方向に対して左手に見えます。
■ 海前寺
藤沢市内にある宗賢院の史料によると1591(天正19)年の創建、茅ヶ崎村領主で旗本の丸毛権之。海前寺には戦中から
終戦にかけて日本ボクシング界で華々しい戦歴を残した「ピストン堀口」こと堀口恒夫氏の墓があります。戦後生まれの方
はほとんど知る人がいないようですが、昭和初期の日本における「拳聖」と謳われた方なのです。
墓石には「拳闘こそ我が命」の文字が刻まれています。
■ 国指定史跡 旧相模川橋脚
神明神社からおよそ200mで新湘南バイパスの下を流れる小出川に架かる下町屋橋に到着します。この下町屋橋の袂に「国指定史跡 旧
相模川橋脚」と書かれたモニュメントが立っています。
旧相模川橋脚とは鎌倉時代に相模川に架けられた橋の遺構で、大正12年の関東大震災の時に今でいう液状化現象によって水田か
ら出現した太い柱のことをいいます。 (左写真:旧相模川橋のモニュメント)
■ 馬入の渡し
江戸時代, 幕府は大きな河川に橋をかけることを禁止しました。そのため、相模川(馬入川)や多摩川は「渡し船」、酒匂川は「徒歩(かち)渡し」などで渡っていました。相模川には、60以上の渡し場がありました。大動脈である東海道は「馬入の渡し」と呼ばれ、幕府が管理し、周辺
村々の負担によって成り立っていました。
費 用 交通費 各自。 資料代 100円。
参加者 計5名。
東海道を歩く(9回):大磯宿(平塚~二宮)は、10月21日(土)に、行う予定です。
8月~9月の山行報告
箱根関所にて
(№2968)箱根駒ケ岳(1356m)と芦ノ湖・バスハイク
期 日 8月30日(水)朝立ち日帰り。
天 候 晴れのち曇り。
コースタイム 津田沼駅(6:50~7:00)-(中型バス)-(東名高速道)-(小田原厚木道路)-箱根園(9:40~10:00)-(中型バス)-箱根関所(10:10~10:50)-(中型バス)-箱根関所跡・港で昼食(11:10~12:30)-(遊覧船)-箱根元町港(12:40)-(遊覧船)-箱根園港(12:50~13:00)-(中型バス)-小田原鈴廣かまぼこ(13:25~14:15)-(中型バス)-(小田原厚木道路)-用賀(15:35)-(バス)-津田沼駅南口(16:40)解散
概 況
33人乗りの中型バスに19人の参加者で、バスもゆったりとした感じでした。
定刻に津田沼駅前を出発して箱根に向かいました。
途中、部分的に渋滞もありましたが、平日なので予定より少し早く箱根園に着きました。
そこでビックリ、ロープウェイが点検のために休止になっていて、乗ることが出来ませんでした。咄嗟に箱根関所へ行ってその後、遊覧船に乗ることを決め、その方向で実施しました。調査が不十分で皆さんにご迷惑をお掛けしました。
箱根関所では、昔の関所の厳しさや展望広場からの芦ノ湖の景色、遊覧船を外から見られて良かったと思います。
昼食を食べた後、今度は遊覧船に乗って船からの景色を楽しみました。
久し振りの船のデッキからの景色が良く、船が走る時の風が涼しい。富士山は見えなかったけれど、近くの名所を船から見えて良かったです。
船から見る箱根元町港、山のホテル、乗れなかったロープウェイ、その他のホテル等久しぶりの船からの景色は気持ちが良かったです。
船から降りたら少し早いのですが、小田原鈴廣かまぼこへ向かいました。
お店でお土産にかまぼこを購入した後、500円でビールとおつまみのかまぼこを食べられる所があり、皆で一杯の地元のビールとおつまみを食べました。中々美味しかったのですが、ビールが小さなコップ一杯では足りず、店の人に尋ねたら、次の一杯は200円でOKとのこと。2杯飲んだらお腹も落ち着きました。集合時間に間に合うようにバスに戻って出発しました。
帰りの時間が早いせいか車の流れも良く、予定より1時間以上早く津田沼に着きました。
費 用 交通費等・各個人 4,800円。支部補助 4,128円。
参加者 計19名。
鳥沢駅からすぐの20号線から
左 倉岳山 右 高畑山
(№2969)高畑山(82m)・倉岳山(990m)
期 日 9月2日(土)朝立ち日帰り。
天 候 晴れのち曇り。
コースタイム 千葉駅(6:14)=東京駅(6:52~7:06)=鳥沢駅(8:38~9:00)…紅吹き橋(9:20~9:30)…高畑山
分岐(10:00~10:10)…高畑山・昼食(11:10~11:40)…穴路峠(12:45)…倉岳山(13:40~14:
00)…立野峠(14:15)…水場(14:25~14:35)…唐栗橋(14:25)…梁川駅(15:35~15:53)=高尾駅
(16:32~16:48)=東京駅(17:46~17:54)=千葉駅46~17:54)=千葉駅(18:38)
概 況
参加者が、一時5人いたのですが、ぎりぎりになって参加者は安達さんと私の二人になってしまいました。熱がある人や都合のある人はキャンセルもやむを得ないのですが、Oさんは女性1人で渋っていたのですが、説得して参加してもらいました。
中央線の鳥沢駅に集合し、暫く旧甲州街道を下り、暫くすると小さな「高畑山」という看板のある所で右折しました。
もう既に看板は黒くなって、文字が見にくくなっていました。そこからは要所に看板があり、迷うようなことはありませんでした。
朝方は天気も良く、暑さを感じさせていましたが、風も少しあり気持ちがよかったのですが、工事中の小篠貯水池からは急になり、林の中は風が無くなり、暫くすると汗びっしょりになって行きました。
高畑山まで2時間、石仏のある分岐までは順調に行きましたが、そこからは急斜面。
ペースも少し落ちて、本当にやっとのことで山頂に着きました。
汗をぬぐったタオルを絞るとかなりの水が絞りとれた。
山頂では天気は良いのですが、残念ながら、雲が掛って富士山は見えませんでした。食事を摂りながら20分程休憩して、倉岳山に向かいました。流石に途中の穴路峠までは下りなのでそれほどでもなかったのですが、最後の倉岳山への30分の登りは足に来ました。休憩しても疲れが取れず、でも梁川駅までの下り2時間なので、先ずは出発しました。下りになっても非常に暑く、汗は絶えず出て、タオルで汗をぬぐいながら、30分歩きました。次は1時間、あと30分と思いながら、歩いて行きました。
下りはずっと細い山道。沢沿いではかなり石の上を歩いて神経を使いました。中々林道アスファルト道路に出ず、風も全くなく、下りの長さを感じていましたが、アスファルト道路に着いたらへとへとでした。暫くすると甲州街道があり、渡ると小さな酒屋さんがあり、ビールと飲み物を仕入れました。
梁川駅発15時53分の電車があることが分かり、ビールを飲まずにすぐ上の駅舎に向かいました。15分の間に着替えをし、荷物を纏めたら電車が来ました。
乗り込んだら、座れたので、失礼してやっとのことでビールを飲むことが出来ました。電車に乗ってやっとエアコンが効いて涼しくなりました。高尾駅で乗り換えたら、東京駅行きで、やっと落ち着くことが出来ました。
費 用 交通費 休日おでかけパス 2,720円。
参加者 計3名。
8月の山行報告
(№2966)三毳山のキツネノカミソリ花見(行き先変更)
期 日 8月3日(木)
天 候 晴れ。
コースタイム 道の駅みかも(10:20~10:30)…大和田群生地(11:05~11:35)…中岳(11:50)…山頂広場(12:00~12:30)…峠(13:15)…公園管理センター(13:30~14:00)…公園東口・バス停(14:15)
概 況
一度、キツネノカミソリの群生している所を見たかったので、このミカモヤマ公園を選んだ。しかし、しかし、ここは高温度で名高い北関東の山だった。夏の暑い盛りに行くのだから決死の覚悟で臨んだ。
キツネノカミソリの群生地は林の中で、木陰に囲まれていたので、長い間花を見ていられた。
千葉の泉公園より沢山咲いており、来て良かった。
費 用 交通費 市民バス代 栃木駅~みかも公園 200円×2=400円。
参加者 計2名。
(№2967)北アルプス・西穂高岳(2908.8m)
期 日 8月15日~17日。都合により、中止致しました。
6月~7月の山行報告
(№2963) 東海道を歩く(7回):藤沢宿(戸塚駅~藤沢本町)
期 日 6月17日(土)朝立ち日帰り
天 候 快晴。
コースタイム 戸塚駅改札(10:00) … 清源院(10:10) … 澤辺本陣(10:40) … 八坂神社(10:55) 富塚八幡宮(11:10) … 大坂 … お軽勘平碑(11:50)… 浅間神社(12:10) … (12:30昼食) … 影取池跡(13:35) … 遊行寺(14:15) … 義経首塚(15:30) … 白旗神社(15:45) … 藤沢交流館休憩(16:05) … 藤沢本町駅(16:55)終
概 況
藤沢は鎌倉時代から遊行寺の門前町として栄えていたが、江戸時代に入り藤沢宿の成立とともに、更に発展してきまし
た。江戸日本橋から数えて6番目にあたる藤沢宿は慶長6年(1601)、東海道に宿駅伝馬制度が制定 されるとすぐに、
神奈川・保土ヶ谷・平塚・大磯・小田原とともに、最初に宿駅に指定されました。
広重の藤沢の景は遊行寺橋を渡り、左へ曲がった辺りから彼方の遊行寺を俯瞰するというアングルで描かれて
います。広重の遊行寺はかなり誇張されて描かれているような気がします。尚、広重の絵の中に描かれている
「鳥居」は現存していません。
広重の藤沢宿
■ 清源院
江戸時代に入り徳川家康の侍女であった「お万の方」によって、元和6年(1620)に中興開基されました。
家康公が駿府で病に伏していることを知ったお万の方は、駿府城に赴きます。お万の方に会った家康公はことのほか喜び、そのお礼に安阿弥作の阿弥陀像一体をお万の方に下賜しました。
阿弥陀像を安置するための寺を、ここ戸塚に創建した。
■ 遊行寺
遊行寺は正式には清浄光寺が寺名ですが、遊行を終えた上人が住まう寺ということから広く一般に遊行寺と呼ばれています。
宗祖は一遍上人(1239~1289)で南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を回り、修行された(遊行といいます)僧侶で時宗は念仏の宗門です。
■ 白旗神社
義経の首は白幡神社にまつられた。元々源氏ゆかりの神社で、社名は源氏の旗である白旗に因むものである。
費 用 交通費(各自)。 資料代 100円。
参加者 計6名。
東海道を歩く(8回):茅ヶ崎宿(藤沢本町~茅ヶ崎)は、9月16日(土)に、行う予定です。
(№2964)千葉公園と古代ハス花見(軽ハイキング)
期 日 7月6日(木)
天 候 曇り時々小雨、後晴れ。
コースタイム JR西千葉駅(11:20)…公園裏口(11:40)…花の広場(11:50)…荒木山(12:00~13:00)昼食後解散
解散後・公園入口(13:40)…千葉駅(13:55)
概 況
コロナ禍で外出もままならぬ時に、弁当を持って近くの公園に出掛けていた。そこで、ただお昼をして帰ってくるだけの事なのだが。
そこでコロナ対策で遠くへ出掛ける事がはばかれるなら、近くでこの「昼食ハイキング」をやってみたら? と思い、後期の山行計画書に記入し、出してしまった。これがそもそも失敗の始まりだと気づいた。
千葉公園は皆に良く知られているから面白みは無い。ハスの花は6月が盛りだ。係は人気が無い。ないない尽くしで実行する事にした。
当日は事故の為か、ダイヤが大きく遅れて、集合時間に間に合わなかった。傘をさす程ではないが雨にも合った。しかし、悪い事ばかりではなかった。
花の広場には「アガパンサス」の花が満開です。目的の、「古代ハスの花」は未だ盛りでハス池一杯です。雨も止んだので、今日はまあまあ良いのではないですか。
肝心の「昼食会」は、荒木山の山頂のベンチでとった。ここもうまい具合に、私達の為に予約席の様に、ポカーンと並んで空いていた。
ハス池を眺めながら昼食とした。小人数だから話の通りも良い。天気も晴れて来たので、少し長く公園内に留まってしまった。そのため、千葉駅へ向かう帰り道は日陰を選んでの帰り道だった。
費 用 入場無料。
参加者 計4名。
(№2965)奥多摩:御岳山(929m)~大塚山(920.3m)
期 日 7月9日。雨天の為、中止致しました。
5月の山行報告
大山不動
(№2960)東海道を歩く(6回):戸塚宿(保土ヶ谷駅~戸塚駅)
期 日 5月20日。
天 候 曇り時々晴。
コースタイム 保土ヶ谷駅(10:00)…本陣跡(11:20)…一里塚・見附跡(11:30)…樹源寺(10:55)…権太坂…投込塚(11:50)…境木立場跡(12:15)…オーロラシティ(12:30昼食)…大山道道標(14:15)…鎌倉ハム倉庫(14:53)…江戸方見附跡(15:15)…戸塚一里塚(15:20)…戸塚駅(15:35)
概 況
前日は雨降る天気でしたが、当日は曇り空で時々日がさす好天でした。戸塚は相模国鎌倉郡(今の神奈川県横浜市戸塚区)にあった。日本橋から旅程がちょうど一泊目にあたり、旅籠数が五十三次中、小田原宿に次ぐ規模であった。当初、保土ヶ谷宿の次は藤沢宿であったが、上記の理由から戸塚にも宿屋が増え、客を奪われることを恐れた藤沢宿の猛反対を押し切り、幕府公認となった。
■ 投込塚
保土ヶ谷宿は江戸を出て最初の難所といわれた権太坂を越える 前のちょうどいい休憩や宿泊の場だったのかもしれません。権太坂で倒れた旅人や馬を葬った穴。江戸を早立ちした旅人にとって、戸塚宿手前の権太坂は難所であった。
■ 柏尾の大山道
柏尾通り大山道のスタート地点、横浜市戸塚区にある柏尾の大山不動堂です。大山参拝者の安全と無事を願するため建立されました。
江戸時代、大山参拝者は東海道からこの道に入り伊勢原の大山へ向かいました。お堂周りに大山道道標、灯篭、庚申塔などがあります。
費 用 交通費 各自。 資料代 200円。
参加者 計6名。
(№2961)散歩シリーズ:泉自然公園
期 日 5月23日(火)。
天 候 雨。
コースタイム 千葉駅(10:55)-(バス)-(11:40)…泉公園休憩所(12:05~12:30)…泉公園入口バス停(13:05)-(バス)-千葉駅(13:50)
概 況
当日不参加の連絡2名あり、参加申込み者2名には雨なら不参加も自由にと通知をメールしたので、参加者は無いだろうと思いつつも念の為、駅に行った。案の定誰もいなかったが折角来たのだからとバスに乗った。バスを降りても雨は降り続き、うすら寒い天気なので入口の休憩所で温かいコーヒーでも飲んで、ひと息入れようと思ったのだが、この時期自販機は冷たい飲み物ばかり。それならと持参の凍らせたポカリを飲んだだけで早々に退散した。
費 用 交通費 千葉駅~泉公園入口バス往復 1,092円。
参加者 1名。
4月の山行報告
(№2960)東海道を歩く(6回):戸塚宿(保土ヶ谷駅~戸塚駅)
期 日 4月15日。雨天中止致しました。
(№2961) カタクリ鑑賞と山菜グルメと山菜採り
カタクリの群生
期 日 4月24日(月)~25日(火)1泊2日。
天 候 24日 晴れ。25日 晴れ。
コースタイム [24日]東京駅(8:24)=越後湯沢駅(9:39~10:30)=六日町駅(10:52)
-(タクシー)-坂戸山山麓神社(11:15~12:00)カタクリ他春の花探索-(タクシー)-飯綱山古墳公園(12:15~14:30)昼食と花探索-(送迎車)-いろりあん
(15:00)泊
[25日]午前中山菜狩りツアー昼食後送迎車で駅へ-(送迎車)-六日町駅(14:46)=水上駅(15:48~15:53)=高崎駅(16:57~17:59)=東京駅(20:00)
概 況
年々歳々花相似たり、年々歳々人亦同じからず、昨年と同じ9人集まったが3人が入れ替わり、中でも常連で過去坂戸山頂上にも登ったことのあるH氏は、昨年の山菜狩りの山行が新ハイでの最後であったことを思うと、まことに残念でありご冥福をお祈りします。
そんな訳で今年の9人は、昨年と同じコース坂戸山山麓の神社周辺と飯綱山古墳公園周辺を回ったが、坂戸山山麓では桜は終わっていた。
飯綱山古墳公園では雪が全く無しと、昨年と状況は一変していた。迎えの車で宿に着きその夜は山菜中心のご馳走攻め。翌日はこごみ、こしあぶら、蕗の薹等の山菜取り放題と例年通り楽しい山行になった。
あまり歩けないリーダーをサポートし、山行を進めてくれたメンバーに感謝します。
概況報告は、宿泊山行の参加は初めてというSさんにお願いしました。
[24日]六日町駅から、大型タクシーで坂戸山登山口に着いたのが11時頃でした。前日迄の初夏のような気温から一転して肌寒くなり、私は薄いダウンジャケットが必要でした。ひんやりとした空気の中を登っていくと、道端には紫や白の可愛い草花が咲いていました。
イカリソウ、カキドウシ等々、植物に詳しいMさんに名前を教わりながら進みました。少し行くと右手に広くカタクリの群生がありました。今年は暖かくて、花が終わりに近いようでした。それでも半分くらいは咲いていたでしょうか?私にとっては“初カタクリの花”で、感激でした。この後は何度も見るのですが…。
また行くと直江兼続生誕の碑がひっそりとあり、歴史にも触れた思いでした。小一時間散策した後、タク
シーで飯綱山古墳公園に向かいました。
小高い山はまさしく古墳。水仙がきれいに咲く小道から遊歩道に入り、登っていきました。上は広くカタクリの群生地。やはり、花は最盛期の半分くらいだったかも…?
一面カタクリなので最盛期は圧巻なのでしょうね。遊歩道の広くなったところでお昼をいただきました。
Mさんに植物の説明を聞きながら、翌日の山菜採りの予備知識を頭に入れ、明るいブナの新緑の下を散策しました。この後、送迎バスで宿(いろりあん)に向かい15時00分頃、チェックインしました。
夕食まで時間があったので、この間温泉に入り部屋でゆっくりしました。
夕食は囲炉裏のある部屋で、山菜づくしのごちそう!! 品数が多く、魚沼産の食材で美味しく料理されていて、全員食べ過ぎてしまったようです。
[25日]2日目は山菜採り!! 快晴です。
“いろりあん“でカマや日よけ用の帽子を借りて準備。バスで山菜スポットに向かいました。
山菜に詳しい先生に最初に案内してもらったのは、こごみ(新潟ではこごめ)の群生地。
5本位ずつ束で芽が出ていて、その束が一面に生えています。穂先がかたつむりのようになって、茎が緑の物が良いそうです。束は一本残して採ることで来年また出てくるとのことです。
袋いっぱい採って、車で次に移動。山を上りスキー場のような所に着きました。
里を挟んで向こう側を望むと雪の残った山々(八海山、駒ケ岳等)が絶景でした。
ここはふきのとうの群生。とうがたってしまっているけれど、先生の説明では柔らかいので食べられるのだそうです。花は油を吸うので天ぷらやきんぴらなら花芽を切り落として使うこと。他にもヨモギやノカンゾウ、コシアブラを収穫。
宿に帰って、昼食に山菜天ぷらそばをいただきました。いろりあんの3食全て、山菜尽くしでどれも美味しかったです.
午後は少し休み、温泉に入る人もいました。送迎バスで駅まで送ってもらい、午後14時台の電車で、荷物いっぱいで帰りました。帰宅後、早速こごみをおひたしでいただきました。
費 用 交通費 9,480円(JR千葉六日町往復6,220円。特急片道1,960円。グリーン1,000円)。
タクシー 300円。
宿泊費 15,000円(1泊3食+山菜ツアー含む)。
連絡雑費 200円。 合計24,680円。
参加者 計9名。
3月~4月の山行報告
(№2956)東海道を歩く(6回):戸塚宿(保土ヶ谷駅~戸塚駅)
期 日 3月18日。雨天中止したので、5月20日に再度行います。
(№2957)清澄山~高天神~内浦県民の森
期 日 3月21日。都合により、中止致しました。
(№2958)本部合同:愛鷹山(越前岳1504m)
越前岳にて
山頂が雲の中の富士山
展望台にて
天 候 晴れ。
コースタイム 千葉駅駅(5:53)=武蔵小杉駅(6:51~7:00)= 国府津駅(7:54~8:31)=御殿場駅(9:23~9:30)-(タクシー)-愛鷹山登山口(10:00)-(タクシー)-山神社(10:10~10:20)… 愛鷹山荘(11:05~11:10)…鋸岳展望台(11:40~11:45)…富士見台・昼食(12:15~12:40)…越前岳(13:20~13:40)…越前岳十里木登山口(15:00)-(タクシー)-御殿場駅(15:30~15:45)=国府津駅(16:49~16:56)=東京駅(18:10~18:25)=千葉駅(19:10)
概 況
1週間前の当日の天気予報は余り良くなかったが、実際当日になると降雨確立が10%のまずまずの天気。気温も適度で、風も少ない絶好の天気となりました。国府津駅の御殿場線ホームに集合して、愛鷹山に出発した。
御殿場線では雄大な富士山が見えて、気持ちが高まってきました。御殿場駅からタクシーで、山神社まで行き、そこからいよいよ歩き出した。
富士見峠までは、かなりの勾配。50分位の登りを30分位毎に休憩を取りながら、登って行きました。富士見峠からは稜線で勾配は緩くなってきた。
まだ、時間が少し早かったので、昼食を富士見台辺りで取ることで、先に進んで行きました。途中、鋸岳
展望台で小休止しましたが、越前岳の裏側の鋸岳・呼子岳の稜線が真近に見えて、鋸の歯を思わせる険しさが感じられた。
富士見台で昼食を摂りました。そこでは、富士山は山頂付近に雲が掛り、裾野が富士山の大きさを想像させるのみでした。30分程で昼食を摂り、越前岳に向かいました。余り視界の無い道ですが、30分程で、山頂に着きました。
越前岳は愛鷹山連山の中では最も高く、そこからは富士山と駿河湾が同時に見えましたが、今日は残念ながら、富士山頂は見えませんでした。ゴルフ場とか山麓は良く見えました。
皆さん頑張って、予定より、40分程早く降りられそうなので、迎えのタクシーを十里木の駐車場に15時に早く来てもらうように電話をしました。駐車場までは1時間程度なのですが急なので、注意して降りて行きました。
下りに2か所展望台があり、景色を楽しみながら、駐車場に15時ちょうどに着くように降りて行きました。
タクシーは既についていて、御殿場駅に向かいました。駅前のコンビニでビールを購入して飲んだら、疲れを忘れられるようでした。
富士山の山頂は残念ながら見えませんでしたが、気候も良く楽しい山行をすることが出来ました。国府津駅の電車には全員で乗りましたが、後は途中で分かれ別れになっていきました。
費 用 交通費 JR 千葉駅~御殿場駅(往復) 5,280円。
(大人の休日俱楽部利用で3,700円)
タクシー(往復) 2,500円。
保険料 200円。資料代他 200円。
参加者 計8名
(№2959)支部行事:祈念山行・佐倉城址公園
1班の参加者
2班の参加者
期 日 4月9日(日)朝立ち日帰り。
天 候 晴れ。
コースタイム JR佐倉駅(9:55)…武家屋敷通り・侍の杜(10:20~10:50)…ヒヨドリ坂・大手門跡・くらしの植物園(11:15~11:45)…本丸跡・記念行事・昼食(11:55~13:00)…姥ヶ池(13:30)…礎石・へび坂・出丸跡(14:00~14:10)…浅間坂上(14:25)解散
概 況
JR佐倉駅で全員集合、外は風があまりにも強かったので改札前で確認し、2班に分かれて出発する。
武家屋敷では見学者と分かれたため時間調整に少しずれ、侍の杜を十分見学できたか不安が残る。
くらしの植物園は今の時期は早かったか? 12時が迫っていたので早めに切り上げ、予定を変更して本丸跡に向かう。
12時に全員で「2023年宣言」を唱和して祈念行事を行った。
食事を摂りながら、久しぶりの自己紹介等をして皆の元気を確認、楽しく一時を過ごす。その後、訓練台・礎石・トイレ跡等佐倉藩の当時に少し触れながら、予定のコースを回り解散とする。
費 用 交通費 千葉駅~佐倉駅(330×2) 660円。
くらしの植物園(団体) 50円。 参加費 200円。
参 加 者 「1班」計17名。「2班」計18名。 合計35名。
2月~3月の山行報告
壬申山にて
(№2953)本部合同:房総・船塚山~三田浅間山~壬申山(行き先変更)
期 日 2月18日(土)朝立ち日帰り。
天 候 快晴。
コースタイム 千葉駅(8:24)=木更津駅(9:03~9:16)=下郡駅(9:49~9:55)…飯高神社(10:35~10:40)…船塚山(11:10~11:20)…三田浅間山・神社で昼食(11:50~12:25)…飯縄神社(13:20~13:35)…壬申山(14:00~14:20)…コンビニ…小櫃駅(14:55~15:02)解散=木更津駅(15:35~15:46)=千葉駅(16:27)
概 況
下郡駅でトイレを済ませ、出発。途中の「殿の下井戸」の美味しい水を飲み、飯高神社の鳥居をくぐり、暫く行くと約200段の石段が待っている。息が切れないようにゆっくり登る。
神社に参拝し、休憩。神社の後ろには地層が剥き出しになっていた。
舗装路を歩き、船塚山に到着。神社に参拝し休憩するが、天気が良ければ見えるはずの富士山は、空に霞が掛かっているので見えなくて残念!
すぐ傍の平原にある2等三角点に寄ってから、道標に導かれ三田浅間山に向かう。
途中は倒木などもあり、やっと山に来た気分になった。
浅間山の頂上には大きく立派な石積みの祠が有るので参拝する。すぐ下にお宮が有るが、台風の被害を受けているのに修繕がされていなくて残念だ。ここの庭の切り株に座り、ゆっくりと昼食休憩をした。
休憩後、暫く山道を行くと約300段の石段が出てくる。足を滑らせたり、躓かないようにゆっくりと下る。
溜池の縁を行き、飯縄神社に向かう。道標に導かれ、山道に入り神社に向かった。
立派な神社に参拝して、藪道に備え休憩する。
境内に浅間様が祀られた石の祠が有る。傍に二十三夜様が祀られているが、以前は壬申山に祀られていたのが移動されてしまい、その為に壬申山に行く道が廃道になり、藪になってしまったので、千葉支部で藪を切り開き道を作り、目印のテープを沢山付けた。
今日は目印を辿り、頂上に「壬申山」の標識を立て、記念写真を撮った。
ここからは、舗装道路を歩き小櫃駅に向かうが、電車の時間が未だなのでコンビニに寄り飲み物を買って小櫃駅に着いて無事に解散した。
費 用 交通費 千葉駅~下郡駅 990円。小櫃駅~千葉駅 990円。
保険料等 200円。資料代 100円。
参加者 計5名。
法華崎にて
(№2954)大房岬(約70m)周辺のハイキング
期 日 3月11日(土)。朝立ち日帰り。
天 候 終日晴れ。春の霞で富士山や伊豆半島の天城山等は見えず。
コース 千葉駅(7:45)=上総湊駅(8:58~9:00)=冨浦駅(9:28~9:30)…原岡海岸(9:40~9:50)…法華崎(10:10~10:20)…原岡桟橋(10:50~11:00)…大房岬展望塔・昼食(12:10~12:50)…大房岬第1展望台(13:00~13:10)…大房岬第2展望台(13:15~13:20)…道の駅「琵琶俱楽部」(14:25~14:55)…冨浦駅(15:25~15:43)=君津駅・解散(16:29~16:35)=千葉駅(17:19)
概 況
非常に暖かく、天気も良いので気持ちの良いハイキングとなりました。
富浦駅から真直ぐ、原岡海岸まで約10分。穏やかで綺麗な内海が見られた。内房を北へ20分すると法華岬からビューポイント雀島が見える。
歩くと暑くなってベストも脱ぐようだった。そこからは大房岬がえらく遠く見える。
今度はそこから湾に沿って原岡海岸に向かう。そこには今は使われていない原岡桟橋が西に向かって伸びている。天気の良い日には富士山が奇麗に見えて、テレビでも放映され話題になっている。観光客もそこだけは、多い。
そこからまた、内海に沿って歩いて行った。途中崖があって、遠廻りをして、標高70mの岬に登っていった。
既に2時間近く歩いていて、段々登りで足が重くなってきている。12時過ぎてお腹が減ってきたが、景色の良い所まで我慢。展望塔に着くのに12時30分になって、ここで昼食を食べることにした。
展望塔の上は内房から三浦海岸、館山、外房と360度の展望ですが、春霞が掛かっていて、天気が良いので遠くが見えなくて残念でした。
展望塔の周りは高い木が多くあって、景色が良くないが、搭の上は360度の展望が開けているので、もう少
し風の強い時とか寒い時期の方が、眺めが楽しめるようだ。
第2展望台にて
第一展望台からは東京湾の奥の浦安方面が良く見え、第二展望台からは富士山や伊豆半島や天城山が見える筈なのですが、浦賀水道の向こうに三浦半島がやっと見えるようです。
帰りに道の駅「枇杷倶楽部」に行ったが、そこの南面にはネモフィラその他多くの春の花が咲いていて、見事だった。そこで時刻表を見ていたら、富浦駅から丁度よい電車があることが分かり、コンビニに寄って早足で歩いて行った。千葉駅にまだ明るい時間に着けたので、丁度よいハイキング コースだったように思います。
費 用 交通費 JR千葉駅~冨浦駅・往復
1,520円×2=3,040円。
参 加 者 計6名。
(№2955)竹岡の燈籠坂大師トンネル~城山
期 日 3月13日。都合により、中止致しました。
1月~2月の山行報告
(№2948)御坂山塊・三ツ峠山東陵から河口浅間神社
期 日 1月14日。雨天中止しました。
鶴見川橋
(№2949)東海道を歩く4回:神奈川宿・八丁畷駅~東神奈川駅(仲木戸駅)
期 日 1月21日(土)朝立ち日帰り。
天 候 終日曇り。
コース 八丁畷駅北口(10:00)…市場村一里塚(10:15)…鶴見川橋(10:30)…鶴見神社(10:55)…昼食(11:12)…鶴見線
国道駅(11:48)…生麦事件の碑(12:01)…キリンビール生麦工場(12:10)…長延寺(14:20)…東神奈川駅(14:35)
概況
八丁畷駅に参加者6名が集合し、時間どおり9時30分に、東神奈川駅(仲木戸駅)に向けて出発した。途中、市場村一里塚、鶴見川橋を渡り鶴見神社に着いた。
鶴見川は、暴れ川で、江戸期にはたび重なる洪水で、橋は頻繁に架け替えられた。川崎の六郷川には橋がなかったので、「舟渡し」が中心であった。
鶴見神社は、本殿部分は溶岩を土台に、一段と高い位置に置かれています。浅間神社を思い浮かべます。拝殿の横には、「三島由紀夫」を祀る祠があります。有志の方々が寄進した。
昼食は、鶴見駅近くの「蕎麦屋」に皆で行きました。私は蕎麦の量が多すぎて半分食べ残しました。
鶴見線国道駅は、昭和5年の建設当初から全く改築されていない。
薄暗い駅舎の佇まいは、一種異様な雰囲気を醸し出している。ここ鶴見線沿いは京浜工業地帯で町工場がひしめいていた場所です。工場で働いていた人たちが仕事帰りにこのガード下の飲み屋でお酒を楽しんでいたのでしょう。騒ぎ声が聞こえてきそうです。しかし、そんな飲み屋さんも今は残っていません。映画やドラマの撮影に使われています。
映画「野良犬」黒沢監督三船敏郎、ドラマ「華麗なる一族」木村拓哉。
生麦事件は、文久2年8月21日薩摩藩島津久光の行列が生麦村にさしかかったとき、英国人リチャードソンら4名と遭遇した。彼らは大名行列にあった時の礼儀を知らなかったため、馬から降りず騎乗のまま久光一行と行き会って行列を乱した。薩摩の従者が無礼打ちとして斬りかかり、リチャードソンを殺害し、残りの3名には重軽傷を負わせた。この事件が、後に大問題に発展し、薩英戦争になった。
キリンビールは、予約の不手際で工場見学はできなかった。トイレは借りることにした。
長延寺は神奈川宿の入口であった。このお寺はオランダ領事館であった。幕末の開港時に宿内の多くの寺院が各国の公使館、大使館、宿舎として割り当てられた。
江戸期、神奈川宿は、旅館のみならず商家も多く大いに賑わった。
費 用 交通費 各自。資料代 100円。
参加者 計6名
(№2950)富山三山(御殿山364m・伊予ケ岳337m・富山350m)
期 日 1月28日。都合により、中止致しました。
(№2951) 木ノ根峠~不入斗山・下見山行
期 日 2月4日(土)朝立ち日帰り。
天 候 曇り後晴れ。
コースタイム 千葉駅(6:58)=上総湊駅(8:07~8:09)=岩井駅(8:30~8:40)…一等水準点(8:50)…登山口(9:10~9:20)…木ノ根峠(9:50~10:05)…冷水ピーク(10:25)…鯨石近く・昼食(12:00~12:30)…不入斗山(13:20)…引き返し…鯨石(14:00~14:25)…冷水ピーク(15:45~15:55)…木ノ根峠下(16:05)…木ノ根峠登り口(16:30)…岩井駅・解散(17:15~18:08)
概 況
一等水準点を見てから内房線のガードをくぐり、直ぐに右折して線路沿いに行き、駐車場を左折、木ノ根峠の登山口に向かう。途中の水路の傍に白く濁った鉱泉を見つけた。
登山口の道標の所で準備をして登山開始。道は、大雨により荒れていて歩きにくいが、暫く行くとしっかりした道が出てきて、木ノ根峠に到着。ここまでは整備の必要は無かったので、ゆっくり休憩する。
暫く行くと倒木が出てきて道を塞ぐので、迂回したり乗り越えたり、這って潜ったりしながら、枝を切ったりと整備するのに時間が掛かるようになった。
鯨石の少し手前で12時になったので、昼食休憩にした。
少し行くと鯨石の傍に下り付き、ここから不入斗山に登るのだが、昔の道が判らなくなっていて、止む無くピンク色のテープを目印に登り出したが、殆ど踏み跡が無い位に荒れていて、ウッカリすれば足元が崩れて滑り落ちたりする。以前は20分程で登れたはずだが50分も掛かり不入斗山の山頂にやっと着いた。ここから先の踏み跡を探すが、道が見つからないので諦めて戻る事にした。
下り始めたら、足が吊って痛くて歩けない人が出たのでゆっくり休憩する。
冷水ピークまで戻り着き、一安心して休憩。ここからは木ノ根峠直下を通過し、登山口の道標に到着し、舗装道路にたどり着いた。
予定していた岩井駅15時にはダメで16時51分も間に合わないと諦め、途中のスーパーマーケットで飲み物など買い物をして岩井駅に到着。
結局、予定の「木ノ根峠~不入斗山」の本部合同は止めて、2022年11月26日に雨天中止となった「船塚山~三田浅間山~壬申山」に変更する事にした。
費 用 交通費 千葉駅~岩井駅 1,340円×2=2,680円。
参加者 計5名。
神奈川台の景
(№2952) 東海道を歩く(5回):保土ヶ谷宿(東神奈川駅~保土ヶ谷駅)
期 日 2月11日。
天 候 快晴。
コースタイム 東神奈川駅(10:00)=熊野神社(10:00)…成仏寺(10:20)…慶雲寺(10:30)…神奈川台場跡(11:05~11:15)…宗興寺(11:20)…権現山公園・昼食(11:40~12:15)…洲崎神社(12:25)…本覚寺(12:35)…田中屋(12:47)…浅間神社(13:35)…帷子橋…保土ヶ谷駅(14:55)
概 況
前日は雪が降る最悪の天気でした。中止することも考えていましたが、当日はうって変わっての好天でした。
神奈川宿は、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に も景色の良い場所として登場。多くの舟で賑わう海が描かれている。神奈川で一番の繁華街だった。
イギリス、フランス、アメリカ、オランダの領事館があり多くの外国人が行き交っていた。
神奈川台場は、アメリカから来るペリー提督の黒船
から守るため設営された。これには権現山の土砂が埋め立てに使われた。権現山は、戦国時代に北条
氏康と上杉謙信が戦った戦場である。今は、公園になっていて、桜の名所として有名である。
広重の「神奈川宿台の景」に描かれている茶屋が、なんと
今でも現役で営業しているのだ。上から3軒目に描かれる「さくらや」が、現在もこの地で料亭として親しまれている「田中
家」の前身だという。米国総領事のハリス、伊藤博文、西郷隆盛、高杉晋作 らが倒幕の計画を練り、夏目漱石もご
ひいきさんに名を連ね、極め付けは坂本龍馬の妻おりょう
が、龍馬亡き後、住み込みの仲居として働いていたという。
今回は、幕末に領事館に使われ寺院に寄りました。すべ
て再建されたものです。
神奈川は、関東大震災、第二次世界大戦で焼野が原に
なりました。本覚寺の山門は奇跡的残っていました。
費 用 交通費(各自)。 資料代(100円)。
宿泊費 なし。
参加者 計7名。
※次回 第6回東海道 戸塚宿は、3月18日(土)です。
1月の山行報告
(№2947)茂原七福神巡り
期 日 1月3日(火)朝立ち日帰り。
天 候 快晴。
コースタイム 千葉駅(8:19)=茂原駅(8:56~9:10)-(バス)-信行寺下(9:24)…⑥信行寺(布袋尊)(9:30~9:35)…スーパーせんどう・WC(10:10~10:20)…⑤妙源寺(寿老人)(11:15~11:20)…④妙楽寺(恵比寿)・昼食(11:50~12:30)…③妙弘寺(大黒天)(13:05~13:10)…②東光院(福禄寿)(13:13~13:15)…藻原寺(弁財天)(13:20~13:25)…茂原公園・①弁財天(13:30~13:35)…WC(13:40~13:45)…⑦實相寺(毘沙門天)(14:05~14:10)…茂原駅(14:35)解散
概 況
快晴の空の下、今日のコースは距離が長いので、一番遠い信行寺まではバスを使い、約1時間短縮した。
6番の信行寺(布袋尊)で朱印色紙を求め、朱印を押してもらった。次の5番妙源寺(寿老人)迄は約1時間半歩くので、途中でトイレタイムを入れた。
次の5番妙楽寺(寿老人)迄も長いので、途中の八幡神社で休憩した。
4番妙楽寺で池の畔の日当たりの良い所で昼食を摂り、トイレも使わせてもらった。
次の3番妙弘寺迄は、田んぼの中の車の少ない直線道路を延々と歩き到着、朱印を押して、近くの2番東光院(福禄寿)へ行く。
次の藻原寺の朱印は本堂の中の受付で1番弁財天の朱印を押して貰い、上の茂原公園に向かう。ここの弁天池の中に弁財天が有るので参拝し、次の實相寺へ向かう。途中でトイレタイムを取る。
7番實相寺(毘沙門天)は、脇から入れるが、正門へ向かい、正門の両側に立つ石造りの立派な仁王様に見守られながら山門をくぐる。
毘沙門天を参拝し、朱印を貰い、七福神巡りを無事に終了しました。
費 用 交通費 千葉駅~茂原駅 590円×2=1,180円。
茂原駅~信行寺下(バス) 270円。
朱印色紙 500円。朱印 各300円。資料代 100円。
参加者 計13名。
藻原寺の山門前にて